連載 想い出のキップと東京風景
写真: 第3回 高島平の地下鉄原風景

ICカードが登場してから、なくなりつつある紙の切符。小学生の頃から電車に興味をもち、切符をコレクションしていたというコラムニスト・泉麻人さんが語る、切符の想い出とは。秘蔵の切符コレクションとともに、ありし日の東京が浮かび上がります。

第3回高島平の地下鉄原風景

想い出の切符
  • 文/泉麻人

 僕のストックブックに収められた「都営地下鉄6号線」の開通記念乗車券は2種類のデザインのものがある。僕がオンタイムで買ったのは黄色地の小型の方で、銀色の車両が詳細に描かれた細長い方はちょっと経ってから"趣味の切手屋"のような所で入手した気がする。いずれのキップにも〈43・12・27〉と刻字されているように、西暦でいうと1968年12月27日、僕は小学6年生の冬休みの時期のことだった。
 黄色い方のキップは4枚あって、2枚が未使用、あと2枚は半券が切られているから実際に都電に乗車した行き帰りに使ったのだろう。6号線とは現在の三田線のことだが、この時点ではまだ巣鴨以西しか開通していなかった。当時の僕の家は目白の西の方だったから、山手線で巣鴨まで行って記念乗車券を購入したことをぼんやり憶えている。中学受験を控えていたとはいえ、冬休みのことだから、ちょっと遠征して終点の町まで行ってみようと思いたったのだ。
 券を一見してお気づきの方もいるかと思うが、当時の終点は志村。ここが現在の高島平のことだ。地名の話は後回しにして、この地下鉄に初めて乗ったときの印象を語ろう。地下鉄とはいえ、志村坂上の先の高架部に出てからの景色が目の底に焼きついている。
 志村三丁目を通り過ぎる頃から段々と民家が乏しくなってきて、西台から志村のあたりはナーンもなかった。ナーンもないってのはナンだけど、延々とサラ地が広がって、南方のかなり離れた所に赤塚台地の崖線が眺められた。そう、この一帯は数年前まで"徳丸たんぼ"と呼ばれる23区内有数の穀倉地帯で、そこを埋めたてて、高島平のマンモス団地が建設されようとしていた時期だったのだ。
 へー、東京の区内にまだこんな所があるのか......あのさいはて感漂う景色は小6の少年の目にも刺激的だった。
 志村の駅名は翌年には高島平に改称されたが、高島の名は江戸幕末期にこの一体の平原(徳丸ヶ原と呼ばれた)で洋式砲術の指導をした高島秋帆に由来する。赤塚の丘上の松月院には、カノン砲を象った碑が置かれている。そして、旧駅名の志村はいまも町名に残されているけれど、この地名の構造はちょっと面白い。「志」が名前の本体で「村」は集落規模を表す「村」なのだ。つまり、発展するにつれて、志町、志市......と進んでいかなくてはおかしい。ま、だから駅名を変えたというわけではないだろうが。

  • 泉麻人(いずみ・あさと)

    1956年、東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を数多く手掛ける。近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)がある。

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