連載 想い出のキップと東京風景
写真: 第2回 バスの車掌さんと回数券

ICカードが登場してから、なくなりつつある紙の切符。小学生の頃から電車に興味をもち、切符をコレクションしていたというコラムニスト・泉麻人さんが語る、切符の想い出とは。秘蔵の切符コレクションとともに、ありし日の東京が浮かび上がります。

第2回バスの車掌さんと回数券

想い出の切符
  • 文/泉麻人

 いまの都バスが東京市営のバス(市バス)として営業を始めたのは大正13(1924)年。もう90年余りになるのだが、そのきっかけは前年9月の関東大震災で市電の軌道や車両が大きな被害を受けたこと、といわれている。当初のワンマンカー主義を廃し、12月から赤襟制服の女性車掌が採用されて、バスガールの俗称で昭和の初めには女性の花形職業となった。
 そんな車掌さん、僕が小学校に上がる頃まで都バスにも乗っていた。昭和40年代に入る頃からワンマン(運転手だけ)化が普及して消えていったのだ。
 僕が住んでいた新宿の中落合のあたりには、当時私バスも含めて7〜8くらいの系統の路線バスが走っていた。都バスで思い出深いのは、練馬車庫から牛込や曙橋の方を迂回して新宿駅西口まで行く路線(これはいまも走っている)。それから、鷺ノ宮駅から新橋駅まで行くのもあれば、上井草駅から池袋駅東口とか新橋駅から大泉学園駅とか、けっこう長距離を行き来する路線バスがあった。
 車掌さんが乗っていた時代のバスは、車両の真ん中(横から見て)あたりに手動式の扉があって、すぐ脇の狭いスペースにいる車掌さんが乗降時にバタバタッと扉を開け閉めしていた。そして、彼女たち(たまに男性車掌もいた)はただずーっと扉脇の立ち位置にいればいいってもんじゃない。走行中に車内を歩き回って、乗客から料金を徴収したり、回数券にハサミを入れたり、あるいは回数券を1冊売ったり......つまり、会計の仕事を司る。さらに、「えー、次は千登世橋、千登世橋〜」なんて、いちいち停留所の案内をし、「この先、左に曲がります。お立ちの方はしっかりとつり革におつかまりください」と、安全注意を怠らない。
 ストックブックに保存されたピンク色の回数券の切れ端(表紙の部分)は、車掌さんがいた頃か、あるいは車内から消えてまだまもない頃のものと思われる。"18枚綴 500円"と記されているが、割引を考慮して"大人30円"の時期だろう。
 古い都バス回数券を眺めていて、昔の車掌さん特有の言いまわしを思い出した。
「車内たいへん混み合ってまいりましたので、お繰り合わせ願います」
 お繰り合わせ、なんて美しい言葉、日常使う人はめったにいなくなってしまった。

  • 泉麻人(いずみ・あさと)

    1956年、東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を数多く手掛ける。近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)がある。

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