連載 想い出のキップと東京風景
写真: 第1回 銀座通りの都電廃止

ICカードが登場してから、なくなりつつある紙の切符。小学生の頃から電車に興味をもち、切符をコレクションしていたというコラムニスト・泉麻人さんが語る、切符の想い出とは。秘蔵の切符コレクションとともに、ありし日の東京が浮かび上がります。

第1回銀座通りの都電廃止

想い出の切符
  • 文/泉麻人

 都電というといまも早稲田と三ノ輪橋の間を荒川線が走っているけれど、僕が子供の頃は40ほどの路線が東京の幹線道路を縦横に走行していた。交通渋滞などを理由にその4分の1くらいが廃止になったのが昭和42年の12月9日。このとき、都電の象徴ともいえる銀座通りを走る路線が姿を消したことから、大きなニュースになった。何日も前から新聞やテレビのニュースで取りあげられていたこともあって、当時小学5年生だった僕も興味をもったのだ。
 廃止の日の新聞記事は手元のスクラップ帳に貼り付けられている(この頃から新聞や雑誌の記事スクラップに熱中しはじめたのだ)が、久しぶりに花電車が登場したり、都知事の美濃部さんが一般乗客と一緒に乗車して別れを惜しんだり......最後のにぎわいが記録されている。そして、この〈東京都電 ご愛顧感謝乗車券〉と記された記念乗車券も、当日僕が買いもとめたものだ。
 すると、銀座まで繰り出したのか? と思われるかもしれないが、残念ながら銀座までは行かなかった。当時、学校の宿題で付けていた日記に、こう記述されている。
「この廃止記念に感謝乗車券を発売したそうだが、ぼくも新聞で見て、池袋まで買いにいった......」
 そう、この日は土曜日。授業は午前中で終わりなので、帰ってからバス1本で行ける池袋に出て、西武の前の都電乗り場の所で車掌さんらしき男から買った記憶がある。ちなみに、ここに描かれた〈5501〉の車両は"PCCカー"と呼ばれるアメリカ製のモデルで、銀座通りを走る1系統にしか使用されなかった憧れの都電だった。
 そしてもう1枚は、翌年10月の明治百年の催しのときに発売された都営交通共通の記念乗車券。人力車から順に東京の交通の発展を表現したデザインのようだが、一番上の朱と黄と銀の帯で色づけされた車両は当時の都営地下鉄・1号線(浅草線)。ところで、この日のことも日記に記録されている。
「ぼくは、池袋で東京百年記念乗車券を買ってから、地下鉄を利用して丸ノ内付近の建物をゆっくりまわった。赤いレンガの建物もしばしば見られ、明治のおもかげが浮かべられた......」
 多少文法はおかしいが、ちょっとオトナになった感じがする。しかし、記念乗車券はいつも池袋で買っているのが微笑ましい。

  • 泉麻人(いずみ・あさと)

    1956年、東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を数多く手掛ける。近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)がある。

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